ちょっと仰々しい題名になってしまった感もありますが、鍼灸におけるターミナルケアのお話を書こうと思います。
ターミナルケアと言うのは皆さん聞いたことがあると思います。
終末期医療や終末期看護と言われるもので、治療の見込みの無い患者さんに対して痛みなどの緩和を目的とした医療を提供することです。
鍼灸として海外からも最も注目されている分野の一つで、抗がん剤にたいする副作用を緩和する目的で使用されることが多いのです。
抗がん剤というのは、副作用が出ないと効果が期待できないものであり、その副作用はさらに薬で緩和することができません。
吐き気など様々な症状を発症しますが、鍼灸にはそれを緩和させる効果が高く、アメリカやヨーロッパでは積極的に取り入れられているところもあります。
私の幼なじみのお母さんは、私が鍼灸をしていると知った時に「私の母も鍼灸で楽に逝ったの、だから私の時もお願いね、ターミナルケアではなくてターミナルでいいの」なんて怖いことを言っていました(笑)
実は私も鍼灸師を目指した時の目標として、ターミナルケアは視野の一つでした。
私は人のいのちを救おうとか、私が不治の病まで治せるとは思っていません。
なので、私が鍼灸師を目指した時の気持ちとしては生死ではなく苦痛を取り除きたいというのが目標でした。
いのちの価値というのは主観によって変わってきます。
人と動物のいのちのどちらかが重いというふうには思いません。
しかし、人の側からすれば人のいのちのが重いと感じるかもしれませんし、動物の側からすると動物のいのちのが重いと感じるでしょう。
絶滅寸前の動物のいのちと人間のいのち、単純に種としてじゃなくて状況としても変わってきます。
そういう状況で、自分のいのちというものはどういう価値があるのでしょう。
終末期のがんを患ってしまった患者さんの中にも、どうしても生きたい、やらなければいけないことがある、ここで終わるわけにはいかないと思っている人であれば、何としてでも生き延びるでしょう。
しかし、副作用やがんによる痛みで早く楽になりたいと思う人もいます。
この二つの状況の場合での自分のいのちに対する考え方は全く逆ですよね。
中には家族が自分たちのために長く生きて欲しいと願う場面もありますが、それは本人にとっての苦痛の場合もあるのです。
そういう中で、いま有名な樹木希林さんのスタンスをとる方たちもいます。
けっして自分のいのちに対して匙を投げず、だからと言って力ずくでなんとかしようとも思っていない。
痛いところはその都度対応して、流れに身をまかせる。
私はがん研究に携わっている人のお話をいくつか聞いたこともあります。
がんは自分を守ろうとしている細胞が勝手に増殖してしまうもの、だから、取り除こうとすればもっと守らなきゃいけないと思ってどんどん増えるということを言っていました。
もう一人の先生は結構有名な先生で、抗がん剤やがん治療をすればするほど苦しむ。
だからがんは治すものではなく向き合うものと言っていました、がん治療をしない患者さんは苦しまないという実情を見ていると言っていました。
私は、どの方法が良いかなんていうことはわかりません。
そこに「いのちの価値」という問題が出てきて、自分自身のいのちの価値をどうとらえるかだと思うのです。
自然の流れに身を任せましょうと言う決断をしたのであれば、緩和ケアとして鍼灸を選ばれる方もいます。
その時に西洋医学では出来ないことで何か楽になることをしてあげられたらなという考えでターミナルケアを希望していました。
実際のところ、ターミナルケアの鍼灸はまだまだ需要が少なく勉強の場も少ないので、そのうち勉強できれば良いなとおもいつつ現在の鍼灸院を開業してしまったというのが現状です。
鍼灸にはそういう使い方もあるんだなということを少し頭の片隅に置いておいてくださいね。